お侍様 小劇場 extra

     湯屋のお宿へ “寵猫抄” 〜もしものその後…? C
 


 馴染みのお饅頭屋さんをひとしきり賑わしてから、その先のお土産屋さんや、ちょいと路地を入ったところにある古道具屋さんを覗いてから。とぽとぽと坂を上って宿まで戻れば、

 「おお、戻ったか。」

 宿着の小袖と丹前へ着替えた勘兵衛が、離れに二つあるうちの手前の間、深みある良いつやの出た、黒漆塗りの角卓の前へゆったりと座しており。手足を拭かれるのももどかしげに、畳へ上がった久蔵がそのまま翔って来て にゃあと懐ろへ飛び込んで来たの、受け止めた御主の頬の血色の良さを見ずとも、
「お風呂、入られたのですね。」
「ああ。」
 こちらもちょっと遠回りをしたので、そのくらいの時間はあったろなと。そこは察していたらしき七郎次。遅れて上がると、作りつけの収納を開け、入れっぱにしたバッグに手を延べて、自分の着替えを取り出し始める。
「私もいただいて来ますので。」
 この離れにも内風呂はついているが、せっかく温泉に来ていて大きな風呂に入らないのは勿体ないし、
「ああ。久蔵は儂が見ておる。」
 いくら気の置けないところでも、他人には猫にしか見えないこの子を“一緒に入ろvv”と連れていけない以上、待ってる間の相手が必要。勘兵衛が先にひとっ風呂浴びていたのもその辺りを考えての行動だろうと、打ち合わせてはないけれど、そのくらいは察し合えて当然の彼らであり。こちら様はそこまでのツーカーがまだまだ足らぬ身、にあ?と、どっか行くの?と、床の間の端へはめ込まれた洋ダンスのような収納の前から、すぐさま立ち上がった七郎次へとお顔を向けた小さな坊やへ、
「すぐに戻って来ますからね。」
 はんなり微笑ったお兄さん。そのまま出てくかと思いきや、浴衣や何やと一緒に乱れ箱へと用意されてあった、備え付けのタオルを1本取るとすたすたと戻って来て、片膝ついて勘兵衛と向かい合い、

 「まだ濡れてますよ?」
 「済まぬな。」

 丹前へとこぼれた髪の裾、広げたタオルで掬い取っての、軽く叩いて水気を吸わせれば。丁度お顔の前でのお仕事とはいえ、お家でもちょくちょく見る光景だと、久蔵が目許を和ませる。そして、

 「シチ?」
 「はい? ……あ。/////////」

 髪へと集中していた伏し目がちの白いお顔に、誰か様がついついちょっかいを出すのもまた いつものこと。小さな仔猫の目許を片手で覆い、彼を抱えてもいての両手が塞がってしまっていても何のその。自分がどういう声音で名を呼べば、どんな間合いでお顔が上がる彼かを知り尽くしていればこその悪戯。坊やの頭の上でという、ちょっとばかし大胆な口づけへ、

 「…勘兵衛様。/////////」
 「ギサク屋の饅頭か。」
 「〜〜〜。/////////////」

 こっちは翻弄されて言葉もないのに、小癪な言いよう、しれっと返せるだけの年の差が恨めしい。自分が知る限りでは、その周辺に さしたる女っ気もないくせに、どこでそんな手際や何やを身につけているものか。和装になっているがため、日頃よりも多くさらされた首元や鎖骨辺りが、随分と間近になっており。強そうに張った濃色の肌や、雄々しい筋骨の陰影が主張する精悍さが、匂い立つよな雄の色香を放って見えて。

 「…。////////」

 ああ、この肌には昨夜も触れた。衣紋越しだと、限りなく頼もしいとしか感じぬ力強さや重厚さが。どうしてだろうか、素肌同士で直に触れ合うと…媚薬をまとってでもいるかのように、熱でも質感でも匂いでも、こちらの鼓動を跳ね上げるばかりな存在へと変貌する。まだ随分な至近にあったこちらの鼻先へ、そちらの鼻の頭を擦り寄せて来。その真下の唇同士が再び触れ合わんというほどもの間近から、

 「いかがした?」

 日頃はちょっぴり乾いた印象がする堅いお声が、低められると一転し、そりゃあ甘くなることを。ご自身でも知っておいでか、悪戯するよに囁いて来られるのが、

 「〜〜〜。////////////」

 ずるいったらありゃしないと、翻弄されてばかりの七郎次であり。

「今からそんなまで赤こうなっておっては、あっと言う間に茹だってしまうぞ。」
 余裕を見せたか、そんなしらじらしい言いようをなさるのへ、
「ええ、ええ。早よう戻って来いとの仰せなのでしょう?」
 それとも人払いのおつもりか…とまでは、さすがに言えないところが、勘兵衛へだけはまだまだ純情な青年を。今度は他意無いままにくすくすと微笑って、ゆっくりつかっておいでと見送り、

 「にあ。」
 「おお、すまなんだ。」

 とんだ隠れんぼの鬼もどき。もういいかいと訊くかのように目隠し取ってとの訴えに。済まぬ済まぬと手を外し、屈託なく見上げて来る稚いお顔へ、

 「……。」

 無垢な眼差し相手とあって。この子をだしにした悪ふざけだったということへは、さすがに…多少は反省もしたものか。うっと微かに言葉に詰まった様子の勘兵衛でもあったれど。そこへと、

 「勘兵衛、入るぞ。」

 外からのお声がし、応じを待たずにどすどすとなかなかの無遠慮さで上がって来る気配が続く。あまり細かいことを言うほうではないながら、それでも無作法が過ぎやせぬかと思ったのだろう。
「返事はしとらぬが。」
 第一、まかり間違えればさっきの〜〜な場へ踏み込まれていたかも知れず。さすがに一言 言い置かねばと思ってのこと、素っ気なくも尖り気味な言いようをした勘兵衛であったものの、
「こっちも“良しか”とは訊いてない。」
 あっけらかんと言い切ったのは、黒地に赤い塗りも風情ある、角樽
(つのだる)提げた頼母殿。
「シチが風呂に出たのは見えたのでな。無粋なことにならぬは見越した。」
「〜〜〜。」
 そりゃまたどういう気の遣われようなやらと、複雑そうに眉間を顰めた勘兵衛だったが、そんな彼には委細構わず、卓の上、盆に伏せられてあった湯飲みを取ると、
「まあまあ、さっき話した逸品を持って来てやったのだ。どうせシチ殿が戻るまでは暇だろうと思うてな。」
 ほれと なみなみつがれたのを差し出されては、怒るのも中途半端にほどける、こちらさんもいけるクチの壮年殿。仄かに琥珀色の辛そうな酒へ、その芳しさへとまずは視線が止まり。受け取った湯飲みの白磁の肌合いをひやりと透かす存在の、そんな手触りと重みを堪能してから。盃よりはずんと大きめのぐい飲みもどきへ、そろり、口をつけるところまで、妙に絵になる殿御であり。
「それほどの男っぷりでありながら、なのに惚れたはれたという浮いた話も、振った振られたという沈んだ話も相変わらず聞かぬのだから、まこと不思議なものよの。」
 お主がそんなだというの、放っておく周りも周りだがと、頼母殿が苦笑する。こういうお家の総領息子だった関係で、随分と若い頃からさんざん見合いをさせられ、早いうちに妻帯者になった身の御亭だったので、そういうものを無理強いするもんじゃあないという理解はあるらしいものの、
「こんな言いようもないってもんだが。」
 そうと前置きをしたうえで、
「体裁上での妻君がどうしても要りようになったなら、俺に言え。」
 それなりの顔の利く筋があっから、朗らかなのから貞淑なのまで、きっちり言い含めての綺麗どころを紹介出来もする。こんな田舎の人間ならば、東京にまでは顔も割れちゃあいなかろし、そういう立場だと言い含めた女を用意出来るからと。母屋では少々言いにくかった話を持ち出す彼であり、

 「………。」
 「そういうことも好きじゃあないのは判っちゃいるが。」

 ただ、そのうち七郎次まで、事情を知らねぇ連中から中途半端に色眼鏡で見られるようになっちゃあ可哀想だろうがよ。この主従の双方ともに そりゃあ気立ての良い人柄なの知っていればこそ、そんな知己が悪し様に言われるのは堪らない。そう、これはあくまでも自分の我儘だと、そんな言い方をして。いいな? そっちの方で二進も三進もいかなくなったら、絶対に連絡しろなと。妙なことへまで至れり尽くせりな心遣いをいただいて。

 “これはきっと。”

 あの、骨惜しみを知らないほど働き者で気配り上手な青年が居てくれればこそ、自分へも恩恵が寄ってくる吉縁というものに違いないと。七郎次という存在へのありがたさ、こそり味わい直した壮年殿だったりするのである。




    


 女性ほどには身支度にも手間取らぬ身。そんなに長湯でもない間合いをおいて戻って来た七郎次であることを、向こうさんでもさりげなく見やっておいでだったものか。彼の後からついてくようにして、母屋から仲居さんが数人ほど、御膳やら盆やらを掲げて離れまでをやって来て。居室の角卓へ、そりゃあ手際よく、夕餉の御膳を整えて下さる。
「ウチの大旦那もこちらで?」
「おうさ。」
 お客人よりも先に、ご当人が大威張りで応じており、
「久々の逢瀬だからの。今宵は邪魔させてもらう。」
 そん代わり、お開きになっての下がるときにゃあ、そっちのチビさんはウチのかかあへ預けて来てやっからなどと。豪胆なお人ならではな、微妙に明け透けな物言いをなさるのへ、そういうお人と判っていればこそ、七郎次もまたやや困ったようなお顔になりつつも苦笑を返しての、さて。
「あ、この煮付け、好きなんですよね。」
 土地のものとて山の幸が中心の、川魚をよ〜く煮たのや地鷄の炭焼き、猪肉の鍋など。ご当地に馴染みがあるからこそお馴染みな御馳走へと素直に箸が向く若いので。まだまだ酒より食べる方への関心のほうが高いのか、丁寧な箸使いで一口大にほぐしては、自分も食すが、

 「ほら、久蔵。美味しいですよ?」

 手のひらへ載せてはどうぞと傍らに引き寄せた存在へも食べさせてやっている様が、何とも睦まじい光景だったりし。傍から見る分には、手鞠のような小さな小さな仔猫が相手。箸も使えぬ身なのだし、いきなりお顔を御馳走の鉢へ突っ込まない躾けこそ大したもので。ちょこりと前足を揃えた座りようも愛らしく、お顔の前へ出されるのを待っている大人しさにこそ、
「いや大したもんだなぁ。」
 そこいらのガキどもよか ずっと行儀が良いじゃあないかと、頼母殿も感服しきり。とはいえ、
「あ、おやおや。」
 お口の周りが汚れたと言っちゃあ、いちいち拭ってまでやっているところは、過保護が過ぎぬかと思うのか、
「あんまり構い過ぎると、そのうち抱えるのさえ困るよな、樽みたいな横綱猫になっちまうぞ?」
 此処へと着いてからのずっと、主従のどちらかに抱きかかえられていたところばかり見ていたせいもあってだろう。からかい半分、そんな忠告をする半白の壮年殿であり。
「あらら、そりゃあ困りますね。」
 そうなったなら、力持ちな勘兵衛様に任せるしかなくなりますねと。構いつけは辞めない方向でのお返事を、ちょいとおどけての わざとに返す、七郎次の即妙なお茶目さよ。何だそりゃと、どっと笑った頼母殿の声へ、おおうと気圧
(けお)されて微かにのけ反った久蔵の反応こそ可笑しくて。勘兵衛までもがくすすと笑い、この湯の里でも一、二という旅亭の、心づくしの御馳走の数々へ舌鼓を打ちつつ、様々な語らいへ沸いていた一同だったが。

 「………ふに?」

 ここで初めて出逢った頼母殿にはすんなり馴染んだ久蔵だったが、そんな叔父様が…さっきからしきりと勘兵衛と分け合うようにして飲んでいるものへ、おやや?と視線を留めている。匂いには覚えがあって、東京のお家でも勘兵衛が晩になると飲んでるものと似ているが、微妙に匂いの質が違うのが気になる。ちょっぴり甘い、そう、お昼間に七郎次と立ち寄ったお店でも香ってたような、つまりは甘いものと同じ匂いもするような。シチも時々は、お相伴と言って小さな盃にそそがれたものを飲んでいるのを見かけるから、お薬のような匂いのする、茶色のお酒とはまた違うのだろう。あっちはいかにも揮発性の高い匂いがするから嫌い。だけれど、こっちのは…何とはなく甘い香りがほわりと立ちのぼっており、

 「…。」

 おっとと、落としてしまった。あらまあ、ああなりません。そんなしたら生地へ刷り込んでしまうだけですよ。濡れ布巾を手にした七郎次が腰を浮かせ、何かしらお膝へ取り落としたらしい御主の世話に意識を逸らしたそんな隙。頼母殿もまた、甲斐々々しいことよと微笑ましげにそちらをご覧で、そんなせいで誰の眸も留まってはないぐい飲みへ、小さな仔猫の集中が留まる。ちょっとだけ、舐めるだけならばと、小さいながらもしなやかな身を延ばし、首も伸ばして。なみなみとつがれてあったの、ぴちりと小さな舌先、ひたして舐めたところが、

  「〜〜〜〜〜っっ☆」
  「え? あ・これっ、久蔵っ。」

 小さな鼻先へも濡れてついて来たお酒は、燗をしてあったから味も香りも立っており。しかも辛口のそれだったので、舌先からさあっと一気に酒精が口の中へと侵食してった威力の凄まじさ。本当にちょっぴりではあったれど、初めてのお酒でしかも、小さな仔猫へのほんのひとなめは、人間の体へのそれとは比率も違う。口の中や喉が かぁ〜っと熱くなり、あわわどしよとおろおろするの、ひょいと捕まえ、手のひらへ水をこぼして差し出してやり、

 「ほら、お飲みなさい。」

 少しでも薄めねばと思ってのこと、人へのそれのように介抱に徹する七郎次の慌てようへ、
「いや、そこまで案じずとも。」
 パニックを起こしてか、小さな口許、やはり小さな手でくしゅくしゅと掻くような所作を見せたのへ、おやまあと笑って済ましかかった頼母殿が、そりゃあ大仰じゃあなかろうかと呆れかけた。
「ですが、この子はまだ赤ん坊も同じですし。」
 普通の犬猫へでも、呼吸困難になる恐れがあるので飲酒なぞさせてはいけないと。そこらの心得は勉強した七郎次だったし、そこへ加えて…彼らには小さな坊やに見える存在。それが“辛いもの食べちゃったの助けて”という何とも悲痛なお顔になったのだから、到底お暢気に構えてはいられない。恐慌状態になって言ってることが通じぬか、それとも同じお酒にでも見えるのか。水へなかなか口をつけないおチビさんだったが、
「ほれ、久蔵。」
 向こう側から勘兵衛が、使っていなかった小皿へ水を注いで、それを口許へとつけてやり、強引だったがそのまま傾けてやれば。口の中へとすべり込んで来た冷たい感触に、多少は我に返れたか。けほこほ噎せつつも、やっとのことで左右の保護者へと視線が戻る。小さな手は必死で七郎次と勘兵衛双方の衣紋を掴んでおり、口の周りや胸元へとこぼれた水を拭いてもらう間も、きゅうきゅうと絞り出すようなお声を出しており。お初の体験、さぞや不安なのだろ怖かったのだろと、本人の身の回りが整ったところで勘兵衛のお膝へ、さあ甘えてなさいと預けた…ら。
「ふにゅう…、きゅう…。」
 か細いお声は依然として困ったようなトーンで絞り出されていたものの、その声が途中から、

  「シュマダ、シュマダ。」

 何かしら切々と掻き口説くような口調で、頼もしい御主を見上げて言い立て出した彼であり。……って、えええっ?!

  「カラカラ、いたいた。シュマダ、シチ。」

 どうにかしてとでも言いたいものか、きゅうきゅうという弱々しい声音の合間に、猫にはあり得ない発音発声の文言が紡がれたものだから。

 「………久蔵?」
 「久蔵。今、なんて?」

 勘兵衛や七郎次が呆然としたのは、微妙に“我が子が初めて口利いた”というよな種の、嬉しい系統の喜色が滲んでのビックリだったが。そんな彼らのお向かいからは、

  「今、その猫 喋らなかったか?」

 少々低められたお声がして。その途端、あっと背条が弾かれての、たちまちゾッとしかかった主従だったのは言うまでもない。お顔を伏せがちにし、そおっと伺い見た先、卓を挟んだ向かい側では。勘兵衛と変わらぬ落ち着き盛りの壮年でもある頼母殿が、ほろ酔いのお顔を真顔に戻しての呆然としておいで。こうまで間近で、しかもああまですっとんぱったん、それこそ彼が呆れたくらいに真剣に案じてたこちらの彼らが、今更そんな冗談の口真似をしたなんて言っても通じまい。愛らしいが何の変哲もない仔猫が、やや幼いそれではあったものの、ああまでくっきりと…人と変わらぬ口調での声を発するなんてと。確かに聞いたからこそ、ギョッとしておいでなのは間違いなくて。

 「あ…、あの…。」

 幼子に見えるからこそ、自分たちには違和感が薄かったこと。でもでも、そうじゃあない人には、いくら特殊効果のSFX氾濫しまくりな昨今であれ、十分に異様なことかも知れずで。どうしようどうしたものか。このままじゃあいくらお付き合いが長い彼だとて、この子を物怪扱いしかねない。お口があちゅくて痛いのと、翻訳したならその辺だろう、自身の窮状を訴える幼子を、宥め半分の思わず、ぎゅうと抱き締めた勘兵衛と、はらはらしもって、されど妙なことを口走らぬよう、自分の口許を必死で押さえていた七郎次だったけれど。

 「…まさかなぁ。」

 どちらかと言えば厳然とされてのいかついお顔立ちを ふわりと緩め、にっこり笑った頼母殿。あああ、もしかして気のせいにして下さるかと思った七郎次の視野の中、そのままくたくたくたっと頽れ落ちてしまわれた。

 “えっ?えっ? そんな、だって…。”

 頼母殿は、勘兵衛様と夜明かしして飲めるほどお強いのに? そうと知っておればこそ、これは一体何事かと続けざまの急な事態へ、ますますおろおろするばかりな七郎次だったものの。

 「驚いた拍子、酔いが回ってしもうたのだろ。」

 そちら様は、素直にほうと吐息をついて、安堵しておいでの勘兵衛様で。はい?と、まだまだ恐慌状態からの興奮覚めやらぬ七郎次が、白い頬に赤みを上らせてのキョトンとしているのへ、
「こやつは確かに酒に強い奴ではあるが、たまにな、配分を崩されると酔いが一気に回るらしくて。」
 今のようにいきなり酔い潰れた場面も結構見ておると続け、だからこそ心からの安堵をなさったらしくって。勘兵衛としてはそちらはそれでおくとして、手元の小さな家人の容体のほうが気になる模様。すっぱりと意識を入れ替えての、小さな和子へとお顔を向ければ。そちらはそちらで、依然としてみゅうむうと糸のようなか細いお声、不安そうに紡いでいるばかりであり。
「辛かったのか? さぞかし びっくりしたのだろうな?」
 まだどこかひりつくものか、それとも驚き過ぎての具合が悪いか。小さな手が、勘兵衛のまとった小袖の衿元、ぎゅうとしっかり握ったままで。
「久蔵?」
 どうしてほしいものかと、七郎次もまた、その傍らへと座ったままにて身を寄せれば。気配を察したか、小さな肩越しにこちらを見やる赤い双眸が随分と潤みを増しており。
「ああ、大丈夫かい? お腹は? 胸んところがムズムズとかしないかい?」
 訊きながら頬を撫でると、柔らかい感触が心地よかったか、自分からもお顔を寄せてくる。きゅうきゅうと心細い声をしばらくほど紡いでいたけれど、

 「……………お?」

 その手や足元が、徐々に徐々に萎えて来て。そのままその場へくしゃりとしゃがみ込んでしまった小さな坊や。再び、えっ?えっ?と慌てた七郎次へ、

 「こちらも酔いが回ったらしい。」
 「はい?」

 小さな手が随分と熱くなっており、だが、くうすうという呼吸はさして乱れてはないし、苦しげでもなくなっており。
「まま大した量ではなかったから、いきなり血行が良ぉなって目が回ってしまったのだろて。」
 お酒に関しては彼へ任せていいだろうこと。現に、同じくらい強いと見越していた頼母殿が昏倒したのに、彼の方はいまだすっきりとした素面
(しらふ)なお顔。そんな御主が口にしたお言いよう。ならば さほど案じなくてもいいのかと、やっと安心した七郎次が、自分の胸元へ手を伏せて文字通りに撫で下ろして見せたのへ。微笑ましいことよと胸底を暖められながら、

 「…しかし、愛らしい声であったの。」

 くすりと微笑った勘兵衛。その言いようへ、七郎次の頬もふわりと和んだ。

  『シュマダ、シュマダ。』
  『カラカラ、いたいた。シュマダ、シチ。』

 何とかして助けてという声音だったのが痛々しくはあったけれど、初めて聞いた幼いお声は、確かに…何とも愛らしいそれだった。
「シュマダというのは“島田”のことかの?」
「でしょうね。“シチ”というのは私でしょうか?」
「この子が頼るシチといえば、他にはおるまい。」
 そんな言い合いをし、いい大人がお互いを持ち上げ合っていたけれど、

 「これって、これからは話せるようになったということでしょうか。」

 だったら素晴らしいことよと、嬉しそうに口にした七郎次だったのへは、
「いやいや、酒に驚いての喉がどうにかしたのだろうさ。」
 くてりと寝ついた小さな和子を、お膝の上へ愛おしげに見下ろしながらも、勘兵衛としてはそのような言いようを返すしかないらしく。
「この子がいくら不思議な存在とは言っても、そこまでこちらに都合のいいことばかりは起きまいよ。」
 彼とて、嬉しかったには違いなかろうに。こたびだけのたまたまな突発事だと思うほうが…だなんて、一気につや消しな言いようをしたのは何故か。
“ああ、そうでしたね。”
 見た目ほど気難しいところはなくの、むしろ気さくなお人ではあるけれど。頼母のように豪胆なお人に見せて、だが、本来は慎重で堅物で。幻想小説を書いてるくせに、非現実的な事はなかなか信じぬ石部金吉。それにも増して…もはや家族同然の存在になっている相手なだけに。目を覚まして、でも もう喋れなくなっていたならば、自分もそして七郎次も、随分と落胆してしまうだろう。そんな態度が、久蔵自身へも何かしら伝えてしまうやも知れぬからと……。
“そこまでは考え過ぎかなぁ。”
 武道では剣でも体術でもずば抜けておいでだってのに、世渡りも下手なら、人付き合いもあまり得意じゃあない。今時の大人には必要だろうところが微妙にずぼぉっと欠けておいでの勘兵衛様は、でもでも、家族や仲間内を庇ったり守ったりするためならば、驚くくらいに弁舌も立っての、鮮やかで即妙な策を様々に巡らせてしまわれる時があり。もう話せなくなっていたらば、きっと自分がずんと落胆するんじゃあなかろうかと先んじて案じて下さったに違いない。いやいや、やはりこれを機に話せるようになったのだということならば、それこそその折にあらためて喜べばいいのだし…と。そんな順番にさりげなく織り込み直してくれた勘兵衛だったのであり。

 “私なんぞに、そのような…。/////////”

 そういった気遣いは もっと他へと…勘兵衛自身へ美味しい見返りが来そうなことへと使えばいいのになんて。そんな風に思ってしまう七郎次の側だって、似たり寄ったりな思考をしていると、気がつかないところが五十歩百歩。

 「…頼母殿には何て言い訳致します?」
 「覚えてなぞおるまいよ。」

 何か言い出したとしても、我らにはそうは聞こえなんだと誤魔化しゃあいい。西のほうにはマグロがうまいと喋る猫もおるというしな。あ、それって私もテレビで観ましたよ。酔い潰れてしまった二人ほど、片やは豪傑、慣れてもおろうと そおっとしといてやることにし。(別名“放置”ともいうが。)もう片やは人生初めてのことだろからと、二人掛かりで見守って。窓の外にはまだ月も見えぬまま、年の瀬の宵が音もなくの静かに静かに更けてゆく。





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  *酔っ払ったら人語が話せてしまうキュウというネタが突発的に沸いたので、
   すいません、もちょっとだけ続きます。
   つまりはこの章、
   真ん中だけれどオマケみたいなもんだったと…。
(おいおい)


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